堕落しつつある日々 -5ページ目

追い出し稽古にて、、、

3月1日、大学の合気道部で行われた「追い出し稽古」のことについて書きます。

今日この記事を書いてる時点で3月4日ですから3日遅れではありませんか。早く追いつけるように頑張らねば。(>Д<)ゝ”イエッサ!!

「追い出し稽古」は部長N村のメールには19時から始めるって書いてあった(メールの内容については2月4日の記事「追い出し稽古」を参照。とりあえずその記事を読んでくれてからの方がこれから書くことがより笑えるだろうから読んでみて下さい)。

19時っていうのは普段の練習開始時間と同じだ。それをわざわざ書くということはその時間に始めるということか。この時期テストも終わって授業もないことだし。卒業生の私は一応主役である。みんなを待たせるのも何だし。4年になってからはいつもの練習ではわざと19時を過ぎてから行くようにしていたが、今回は感謝の意を込めることにして、早めに行くことにした。

学校の体育館に着いたのは18:45頃。あれ、靴が少ない、、、 柔道場出入り口で一礼。やっぱり人がいない。いたのはT野、G藤、M藤、畳にぞうきん掛けをしている最中だった。この一年間、とんと19時前になど来たことはなかったので「ちゃんとやってたんだ、、、」という印象。

さっさと着替えてそれに加わる。学校の練習でぞうきん掛けなど久しぶりだ。灰色に汚れたバケツの水も懐かしい。「やっぱり消毒が必要だな」 合気道では特に「抑え技」などのときなどは「受け」がうつぶせにされて「極め」られるので「受け」の顔が畳にに着くことがある。「膝行(しっこう)」ではつま先を立てた正座の姿勢、いわゆる「跪座(きざ)」の姿勢で膝を畳にこすりながら移動し、「座技(ざぎ、すわりわざ)」ではこの「膝行」を使って技を掛ける。慣れていても膝をすりむくことがたまにある。膝を擦り剥くとそこから雑菌が侵入し、化膿することがよくある。痛いので治るまで当然練習はお休みということになる。無理して練習に参加する後輩もいるのだが(何故か女子が多い。男子は腑抜けだ、私も含めて(笑))、見ていて痛々しい。勘弁願いたいものだ。

やはり畳が清潔であることは化膿を防ぐ意味で重要であろうと思うので、今度クレゾールでもプレゼントしようか。

ぞうきん掛けはあらかた3人がやってしまっていたので私は1,2往復しただけだ。19時近くになり、ようやく人が集まりだした。なんだいつも通りじゃないか、、、 私の思い込みであったようである。

19時、体操、受身、膝行。19時半頃、整列、挨拶。部長N村の説明。卒業生、修了生合わせて5人いるはずであったが、この時点では私しかいなかった。「じゃあ、○○さん(私のことです)がよければ始めますが、よろしいでしょうか」何を準備せよというのだ。
「それじゃあみんな一列に並んで――」なんてヌルイことを、、、「掛かり稽古でいいよ、みんなで丸く取り囲んで」部長N村の言葉を遮るように私は言った。(チョトカコイイ? (*^ー゚)

去年ぐらい「50本投げ」というのを、先生の指示でやっていた時期があった。そのときの幹部ら(今の幹部の一つ前の代)はどうしょうもない奴らで、「練習したくないオーラ」をカラダいっぱいに発しているような奴らだった。だから「50本投げ」を休憩の時間にしてしまった。「取り」を一人立てると、当然「受け」も一人。あとのひとはなが~い列を作ってそのまま待ちぼうけ。非効率この上ない。身体が冷えてしまう。あげく終われば「がんばったね~」と拍手喝采。

さすがに当時の私は切れて2列作ることを要求した。奴ら「なんで?」って顔するの。冗談じゃない。

、、、とまぁ彼らの愚痴を書いていてもつまらない。彼らについてはこれから機会があれば書くかも知れないし、書かないかも知れない。

「逆半身片手取り」「両手取り」「片手両手取り」「正面打」「横面打」「突」「後ろ両手首取り」この7種類の取り方で各5分間、私はこれから「取り」をする。みんなが私を取り囲む。体調を崩し見学のT井〈「後輩T井の家で、、、 」参照〉がタイムキーパー、彼が秒読みをする間、私は輪の中をぐるぐる回った。「澱の中の熊みたいだ」「プレッシャーがありますからね」冗談じゃない。誰に一番に飛びかかるか品定めをしているのだ。狙われているのはお前らだ。

「始め」 私はくるりと踵を返し真後ろに走った。誰だったか忘れたがぎょっとした表情だったのは覚えている。驚いて身体が固まってしまって思うように技が掛けられない。「四方投げ」だったか、「入身投げ」だったか。クソ、失敗だ。その後もなだれ込むように「受け」たちがまとわりついてやりにくいったりゃありゃぁしない。思うように間が取れず、みんな突っ込んだような姿勢になってしまう。

このやり方にみんな慣れていないのだ。練習だし、とりあえず一人ずつかかっていくことになっていたが、みんな周りが見えずに二人同時にかかってきたということが多々あった。それが普通なんだろうけどね。それを捌けないのは私の力不足と見るほかない。

特にG藤とM藤、一年の彼ら二人には手こずらされた。いや、正直に言うと全く歯が立たなかった。疲れて肩で息をするようになると肩を落とし、「肩の力を抜け」という方が無理な話だ。ガチガチの力勝負になると体格で劣る彼らには私は歯が立たない。くっそ~、思い出しても腹が立つ。くやしい!! ヽ(`Д´)ノ

「四方投げ」、「入身投げ」、「回転投げ」、ほとんど基本技ばっかりだな。まあ得意だし、そればかり稽古しているし。特に四方投げが多かった。技も汚かった。そんな調子で3つめの「片手両手取り」まではなんとかぶっ続けで動けた。「次は正面打で~す」という部長N村の声に、さすがに「タンマ!!」と叫ばざるをえなかった。

しばらく息を整えて再開。「正面打」「横面打」「突」。もう避けるだけで手一杯。それも体力がどんどん奪われる。こら、そこの一年! 笑い事じゃぁない。「突」は何度かクリーンヒットした。全くスピードも体重も乗ってない突だけど(合気道なんてそんなもんです)。

また休憩。肺が苦しい。気管支が空気が通るたび熱く、管が収縮して狭くなっているのが分かる。もっと走んなきゃなー。

「後ろ両手首取り」。これが一番苦手。自由技なんてほとんど練習しないよ~。しかも、、、 まただ。_| ̄|○ こいつら全然周り見ちゃぁいねぇ。なんで3人一片にかかってくるんだ。取り方もめちゃくちゃだし。そいういった「受け」でも、ちゃんと捌いて、ちゃんと取れるように導くのも、「取り」の力量による。私、力不足です、ハイ。(-_-;)

5分、終了~~。「お疲れさまで~す」と拍手が起こる。「またか、、、」でも今回はしょうがない、悪い気はしないか。私は「受け」を取ってくれたみんなに「ありがとございました」と礼をした。それにしても塩田剛三はやっぱりすごい。

私がヒィヒィ言っている間に残りの人たちが来ていたようだ。S谷さん、T福さん、M田。彼らは列を作って一人ずつかかっていく方法だ。3人いるがスペース的には全く問題ない。この詳細も書いてもいいが本筋と関係ないので省くことにする。そろそろ疲れてきたし。要するに「受け」って楽だな~ってこと。

稽古後、みんなで会食ということになっていた。場所は我が合気道部行きつけの食堂F(これも名前は勘弁)。ボリュームがあって夜遅くまで開いていて大助かり。何よりマスターの人柄が気さくだ。

我々卒業生、修了生の分はこの間の追いコンのときに一緒に徴収してあるという。ここぞと高いものを頼む我々。まあようするに楽しいひとときを過ごしましたと言うことです。

おわり。


~~~~~~
さてさて、合気道関連を検索してこのブログにたどり着いた方、合気道経験者の方々には、私がヘタレであることが十二分にバレたことと思います。あ、その前に「腕立て10回」って時点で存分にヘタレか。
このブログを見て笑うもよし、一人ほくそ笑むのもよし、私も頑張ろうと思っていただければ私は「御の字」です。励ましのコメントなどいただけると感激のあまり何をしでかすか分かったものではありません。
なにとぞよろしくお願いいたします。

※なお、これまで書いた情報の蓄積により、私が誰であるか分かった人もおられるかも知れません。もう少し本音を書いていきたいので分かっても関係者のみなさまにはなにとぞご内密に。こっそり私に教えてくれるのは構いません。あくまでどうぞご内密に。 かしこ。

「接触点をそのまま持っていく」

2月28日、月曜日の稽古のことを書きます。

「私のカゼ撃退法」で書いたとおり、日曜の稽古は寝坊により参加できませんでした。起きた時刻は17時、、、(ノД`)

寝坊で稽古を逃したことは一度や二度ではないが、やっぱり悔しい。私はもうすぐ大学を卒業する(、、、できるかな? (´-`))ので、あと1ヶ月しかこちらにはおれません。それを考えると非常に惜しいことをした気がして_| ̄|○ililな気分です。

、、、という思いを込めて稽古に参加。時間は19時から、場所は先生のご自宅の道場。広さは20畳ほど。

さきに大学の合気道部の後輩が3人来ていた。H高、S木、T野。みんな一年生。、、、いいよなあ、と私は思った。私が大学の練習に加えて、道場に通えるようになったのは1年生の終わり頃、確か3月だったからちょうど今頃だっただろうか、原付を手に入れてからなのです。今年の1年生はナマイキにも車持ちが多い。彼らはちょくちょく誘い合って道場に通っていたようだ。そんな彼らを見ては「うらやましい、、、」と正直思っている。

今日の稽古も先生はまだ道衣を着ておられない。まだ道衣を着られるほど体力が戻っていないとご自分で判断されたからなのだろう。

体操・受身・膝行が終わると>「基本動作基本技」(これについてはまた説明する機会があるであろう。コメントに「説明キボンヌ」とあればもっと早い時期に)。T野が組みに来た。

正直に言おう、「うれしい」。

長いこと稽古から離れていたものだから特に「基本動作」の動きの細部がおかしいのが自分で分かる。予想以上に感覚がぼやけている。

「予想以上」といえば私の腕をつかむT野の手の力が強くなっていることだ。入部当初は「まじかよ、、、」と思うほど貧弱な握力でこちらがびびったほだだったが、彼は剣や杖の素振りをひとりでよくやっていた。その効果であろう。

何にせよさぼっていたのは自業自得だが、「基本動作」がこれほどまでにできなくなっていたのはけっこうショックである。やはり「実力は基本に出る」というのか。

「基本動作基本技」が終わっていったん整列。「昇級審査が近いので8時ぐらいから自習にしますね」と先生は言いながら今度昇級審査を受ける方たちに指示を出し、みんなの前で示演をさせた。「この技を取り方は今度の審査で自分が受ける級の取り方でやってください」。

最後にやったのが「正面打一教返し入身投げ」。Iさんが満面の笑みを浮かべ私の前に座り「お願いします」。「!」これにはいつも面食らってしまう。

Iさんは合気道の一会派の一つ、「合気万生道」を10年以上に渡り稽古されていて、四段、準師範(師範だったかな、、、)で県の支部で指導員、ご自宅にも道場を持たれている(何度か稽古させていただきました)。そんな人が何故ここにいるのか? というほどの人なのです(だから名前の伏せ方が今回はイニシャルのみ、これでもバレるかも)

そんな方がすーっときてパッと頭を下げられるとこちらが困ってしまう。本来こちらからお願いにいくべきなのに。

Iさんに組んでいただくとその度にいかに自分が無駄に力を入れている泣きたくなるほど実感できる。(ノД`)イヤ、ホントに。

「正面打一教返し入身投げ」は「受け」が正面打でくるのを一度一教で崩し、くぐったり捌いたりして入身投げにつなげる。

私が「取り」、Iさんが「受け」。Iさんの正面打に私は押し切られてしまう。タイミングがあっても「ガチン」動作の途中で動きが止まる、いくら動かそうとしてもそれ以上動かない。Iさんが空いた手で私の肩や腕を触る。もうガッチガチ。いつの間に、、、(;゚д゚)

「正面打にこうして受けるでしょ、そのとき肘の方の手はもっと下からスッと、カベを作る。カベを作ったらあとはストンと真下に落とすだけ」

「ちがうちがう、そんなしてガッとしたら受けもガッとなってそれ以上行かんくなるわ、こう、フッと触れる感じ」

う~~ん、むずかしい。ヽ(`д´*)ノ

そのまま自習になり、引き続きIさんに練習をお願いした。そう言えばIさんも昇級審査受けるんだった。いま思い出した。(゚ロ゚;)

「片手両手取り入り身投げ」。説明するまでもないが、「受け」が「取り」の一方の前腕を両手で取ってくるのを、「取り」が転換によって崩し、入身投げにつなげる技である。「通常」と「巻き込み」、転換するときの腕を返す方向で何種類かに分かれる。

私「取り」、Iさん「受け」。よし、転換!の「て」で「カッツーン」。この「よし、」って「準備」ももうダメ。「受け」に「入られて」しまう。

去年の年末、私が稽古を休む前に先生が工夫したやり方をやってみよう。どうするんだっけか、、、たしか肘側の接点を「消して」「受け」を導くように転換するんだった。、、、よっ、「ガッ」、、、ダメだ、_| ̄|○ 一旦保留しとこ。

「ここの触れてるところ(肘側の接点)に、ズー、と当て付けていくようにしていくとあとは自然に力が上に上がっていく(腕が上がる)。、、、今肘が固まってる、肩も」



ウワ~~~~~;.:゙:..:;゙:.::ヽ(゚∀゚ゞ) ッッ!
とかくこの調子。それはもうじりじりじりじりと。もう叫びたくなってくる。



「よし、いったん締めましょう。、、、正面に挨拶をして終わりにします」先生のこの声になんと救われたことか。

掃除のあともしばらく残って稽古。私が素振りをしたり、柔軟をしたり、腕立てをしたりしている横で、さっきの1年生たちが「羊の群のような表情」で突っ立っている。あるいは「迷子」か。

こ、こいつらはぁ~~~~Σ(゚∀゚ゞ)ッッ!

1年生の他の奴らもそうなんだか(2年生も)、学校の練習でも道場でも自分の意志で参加しているんだから、空き時間だってなにか自分のしたいことすりゃぁいいじゃないか。わざわざ道場まで来るくらいだ、自分なりの課題の一つや二つあるだろう?

私は社会人のM満さんが今度審査を受けられるので、自由技の練習台。ふと間があって「練習にお願いしていいですか?」「よろこんで」

「受け」を取りながら横目で見るとやっとこ何か始めた模様の羊たち。まあいいや。

M満さんは次3級でしたか。自由技の中の「転換しての天地投げ」でいつも「天の手」の脇があく。ゆえに「受け」としてはものすごく耐えやすい。なんでこうなるかな~。しばらく考えながら一緒にやってみた。そうか、転換したあとに「地の手」が効いてない。ゆえに崩しが不十分、技そのものも「天の手」側に流れてしまう。だから「天の手」の脇があく。さてどうしたら直してもらえるだろうか。

→結果。いろいろ試したけど私の指導力では無理、完敗でした。もはや「指導」なんておこがましい。私が勉強させてもらっている状況。



着替えながら「めしは?」私は後輩たちに聞く。「はあ、行くんだったら行きますよ」またこれだ~。_| ̄|○

場所は県道沿いのラーメン屋。そこで私は聞き役にまわるつもりだったが、やっぱり喋りすぎてしまったみたいだ。



~~~~~~~~~
う~~ん、合気道やってない人にはわかんないッスね。やっててもわかんないかも。
でも一度Iさんから教えてもらったことは活字にしておきたかったのでその目的は果たせたかな。
2日も経っていたせいで記憶が曖昧になりかけていたが何とか再生できた。もっと書き方を考えないと時間がかかってしょうがない。

これから書く記事
・火曜日の追い出し稽古。
・水曜日の稽古、午前の部・夜間の部。
・その他、稽古日記以外の記事。

2005-03-03

親にカネの話をされるとげんなりします。確かに少しナマ言ったかもしれんけど、
「そういうことはこっちが仕送りしなくても言いようになってから言いなさい」と。
「何でも自分でやっているようなことを言うようだけどまだこっちが仕送りしなきゃ生活できないんだから」と。
「じゃあカネなんぞいらんわい!!」と言いそうになったがここは我慢するしかないわけです。

げんなりします。本当に。では何でしょう? 親子の繋がりというのは所詮カネですか? と。飯代、服代、これまで育ててもらうのにかかったお金全部返したらそれで満足ですか? と。なんなら、「精子提供料」と「卵子提供料」、それに「代理母契約料」を参考にして「子宮賃貸料」まで払えばそれで満足ですか? と。全部でいくらだろう? 3,000万あれば足りるかな、、、



違うでしょう、違うでしょう違うでしょう違うでしょう違うでしょう違うでしょう違うでしょう違うでしょう違うでしょ?

カネの話を持ち出せばここまで話が行き着くんだ、イヤな世の中だ。

だから、「カネ」の話を切り札的に子供を黙らせようという、その発想が気に食わない。もっと別の言い方ってものがあるんじゃない?


、、、と、今日(昨日か)の晩親からかかってきた電話で思いました。絶対面と向かって言えないので、こんなところで言ってみる。

私のカゼ撃退法

この記事は「久しぶりの道場にて、、、」の続きとなります。一応、「活動限界時間」からの連作となっているのですが、タグを使って修飾する余裕のないほどドバーッと文字で埋め尽くしているので、読者の読む気力をものすごく削いでいるんだろうなぁ、ということは最近の訪問者数の減少から何となく分かります。私の方も少々引っ張りすぎの気がしますし、他に書きたい記事が後にたまってます。それに、いい加減、飽きてきました。そんなわけで、「連作」は今回で最終回です。

2月26日の18時を回った頃だろうか、道場からの帰賂は特別に寒かった。この季節寒いのが普通であるし、その寒さには当然慣れていたつもりであったが、このときは違う。何だか芯から冷えるのだ。そういえば来るときも空が晴れ渡って風が強かった。これは「放射冷却」というやつか。寒さで身体を固めるからまた肩が凝るなーとか思いながら家路を急いだ。

家で道衣を干したり、後片付けをしていると、急にくしゃみが出て寒気がする。鼻の奥が重い。ん、これはヤバイ。カゼだ。大学入ってからというもの、まずカゼなど引かなくなったが、というか引けなくなったが、やっぱり疲れが溜まるとカゼを引きそうになる。そういうときは決まってくしゃみ一発、その直後の寒気、それに呼応するかのごとく、鼻の奥がぼーっとして全身がいきなりだるくなる。さっきまでなんともなかったのに。

そんなことが一年に数度ある。しかし、男の一人暮らし。その度にカゼなど引いたらどうなるか考えるだけでも恐ろしい。というわけで、この「前兆」が出た瞬間から本格的にカゼを引いてしまうのを回避すべく全力で対処にあたることとなる。

〈このとき私は自分が前日から徹夜で活動していたことを「完全に」忘れていた。ええ、もう今から考えてもおかしいぐらいにすっかりと。と、いうわけで以下に続く文章はそのことを含め、いくつかの複合的なミスにより、実際その後、カゼを「本引き」するにはいたらなかったが、胃にかなりのダメージを負ってしまったことと、睡眠時間を無駄に浪費してしまった。そこのところ、みなさんマネしないでね、(*^ー゚)ノ という注意書き〉

私には「切り札」がある。別にそこまで特別なことではないがこれをするとカゼなど一発で治る。と、信じている。

もったいぶらないで言いましょう、それは「レンジにんにく」。にんにく一カタマリを、レンジでチン!それを食う。これだけです。この方法で、今までのカゼの引き始めは全てくい止めてきました。撃退率100%、けっこう自信あります。

ここ最近、しばらく自炊していなくてにんにくを切らしていた。よし、調達してこよう。近所のAコープ〈徒歩1分〉にダッシュ。

お、イチゴが半額これは買いである。この間イチゴ酒を作ったときにはけっこういいイチゴを使ったので食べればよかったと内心後悔していなくもなかったのでこれはその雪辱戦である。で、肝心のにんにくは、と、、、「有機うんぬんかんぬんにんにく」一個136円。これは高い。他の種類はないのか、「中国産にんにく」1キロ298円。、、、そんなにたくさんいらんっちゅうねん。\(゚∀゚ゞ)ナンデヤネン! せいぜい4つか5つもあれば十分。しかもこの時点では1つで良いのだ。じゃあ一つの方を買うか?否、高すぎる。まあいいか、にんにくならいくらでも使いでがあるだろう。実際の決定までには10分くらい店の中をうろうろしていたと思う。

さてと、目当てのものも手に入れたし(正確にはレジでお金を払うまでは店のものである)、何か他に良いものはないかな~と「中国産にんにく」1キロ298円を持って店内を物色。精肉コーナーではたと足が止まる。「若鶏心臓」167円に半額シールが貼ってある。前々から気にはなっていたが、どう料理したものか全く見当がつかず手が出せなかったものである。最近、私がよく行くブログの主がやたら砂肝を食べているので、私も対抗上、何かしなければと思っていた。その点こちらは「若鶏心臓」である。まず見た目のインパクトからして効果絶大である。「砂肝」という人にはない臓器ゆえ、一見取っつきにくい半面、それほどの抵抗がないものと違い、「心臓」という誰でも分かる臓器で、見た目そのまんま、存在感がある。しかも、心臓といえば、「生命の象徴」。アステカ文明の民は太陽が死んでしまわないように、生きた人間の心臓をその糧として捧げた。これを食べればカゼなど吹き飛ぶこと間違いなしであろうと勝手に妄想し、購入を決意した。

家に帰って、早速調理開始。まずは血抜きである。水(食塩水ならなお良い)を張ったボールに先ほど買ってきた「若鶏心臓」をあけ、よくもみほぐす。心房内に血液が残っているとそれが出てくるので念入りに。ペーパータオルで水気を拭き取り、油を引いたフライパンでソテー。味付けは塩コショウ。火を通しすぎると固くなるとネットで調べたページに書いてあった。

(一応写真も撮ってあるんだけどね~、アップできるか分からない)

にんにくの方は簡単なものでにんにく一つをそのままレンジでチン!蒸気で扉の窓が曇るぐらいが私の経験上、ちょうどいい。あとはこの間炊いて冷凍しておいたご飯を温め、この間ブログに書いた大根と練り物のおでん風煮込みを暖め直したもので今日の夕飯イタダキマース。(人´∀`)

では早速、と心臓一つをつまみ上げ、食べてみた。味は悪くない。強いていえばトリなのに牛肉っぽいかんじ。食感は「プリプリとした、、、」とどこかで書いてあったのを見たがその通り。これは全然いける。あ、やべっ、ちょっと生っぽい。しょうがないので、レンジでチン! しきり直しだ。にんにくの方は、火を通したにんにく特有のホクホク感。私はこれが好きなので何も付けずにいく。皮の上から外側へ外すようにひねると皮も一緒にするりと取れる。裏ワザ発見。今まで生で剥いていたにんにくは一度レンジでチン!してしまえば楽じゃん。どうして今まで気が付かなかったのか。

ここで異変に気が付いた。どうも1ダースほどもある心臓の半分も食べぬうちから、どうもつらくなってきた。口が受け付けないのだ。こうなると今までなんでもなかったことが急に気になり出す。まず口にいれたときに舌に当たるツルンとした心臓の外形。噛み潰すときに崩れながらも断末魔のごとく強烈に主張をする組織の構造。クチクチとした歯触りの血管。食べるにつれて気にならなくなるのでなくて、むしろ食べるほどより鮮明にガツン、ガツンと私の脳に衝撃を加える。

結局もったいないので全部食べたが、一時間以上かかった。胃も非常にもたれ、何より、肉体・精神の両方の体力を奪われた。ブログの更新をしようとしているうちに何もできなくなり、パソコンを前にしてそのまま寝てしまった。午前の3時過ぎに一度目がさめ、畳んで部屋の隅に積んである布団に潜り込み再度就寝。

それで次に目が覚めたのが2月27日日曜日の17時というわけ。この日の日曜は中央道場で9時から稽古があったので、非常に損をした気分になった。かぜの症状は完全に消え失せていたので、カゼの撃退には成功したようだ。(そりゃぁ、あんだけ寝りゃぁね。(´Д`;)

さて、考えるまでもないが、今回の敗因を分析してみよう。まず、半額で「若鶏心臓」が少し古かったこと。やはり内臓系を半額で買うのは危険である。多分途中で胃が拒絶したのだと重う。しかしそれを無視して胃に無理矢理詰め込んだのがいけなかった。カラダはその本人よりもカシコク、偉大である。そして食う量が多かったこと。最近稽古量が減って、食事量が減り、胃が小さくなっていたのにいきなり詰め込んだ形になった。これもいけない。これらが胃に多大の負担をかけ、荒れさせ、消化のために無駄に睡眠を取らねばならなくなったのだろうと結論づける。

最後に、睡眠不足は食っても解消できません。 寝るのが一番です。小学生でも分かることだろうに、、、_| ̄|○


これから書く記事。
・月曜の道場。
・火曜の追い出し稽古。(今日行って来た)

明日も稽古あるからちゃきちゃき消化しないと間に合わないよ~ ヽ(`Д´)ノ ウワァァン

ひさしぶりの道場にて、、、

この記事は「後輩T井の家で、、、」の続きになります。独立した話なので読まずともお楽しみいただけると思いますが、一応続き物として書いておりますので、初めの「活動限界時間」からお読みいただけるとより楽しめるかどうかは保証いたしかねます。


2月26日の土曜日の朝7時過ぎ、徹夜明けでぴりぴりと痺れる身体のまま、後輩T井君のお見送りの下、原付の停めてある学校の体育館横まで歩いていった。(一説には後輩T井君は置いてきていた自転車を取りに行くついでについてきただけという説もある)

このときの状態は多分飲酒運転に限りなくグレーであったかも知れない。とりあえず部屋まで戻って顔と歯ぐらい磨かなきゃ。玄関の前で問題のアパートの一室が目にはいる(「追い出しコンパ」参照)。道衣が干してある、、、やっぱり本当だったか。_| ̄|○ わかりゃしねーよ、、、

滞在時間数分、それでも遅刻ギリギリの時間であった。アルコールが抜けきっていないかも知れない身体で、しかも徹夜明け、最悪の条件で原付を運転した。

バイト先には2分遅刻。遅刻はいつものことなんだけどね、、、_| ̄|○ バイト中も余計なことで頭が一杯で手がお留守。俺って役立たず、、、_| ̄|○ 

そんな感じに12時過ぎ、バイト終了。風呂入りた~い。ヽ(;´Д`)ノ

コンビニでしばらく立ち読みがてら昼飯に焼きそば調達。ウオッΣ(゚Д゚;)、もう14時!? 立ち読みに時間をかけ過ぎたようです。(´・ω・`)

急いで帰って飯食って風呂入って、髪も乾かぬうちに再び原付にまたがる。

道場に着いた。どうやら挨拶の前には着いたらしい。みんな剣を振ったり、柔軟をしたり。

ここでT橋先生のことのついて話しておかねばなるまい。以前、「先生入院! Σ(´Д`lll)エエ!!」に書いたとおり、T橋先生はインフルエンザをこじらせて入院されていた(詳しくは上記の記事を参照されたい)。21日月曜日に退院して23日水曜日の稽古から再開されると部長N村の連絡があったきり。今日まで稽古に行けなかったので正直先生のがどんなご様子になっているか不安があった。まして、去年の暮れからこちらの道場には行っていなかったので、一月半ぶりにお顔を拝見することとなるのである。

見た感じ、顔色はよく、以前とお変わりないように見える。痩せたと聞いているがトレーナー姿では見た目では分かりようがないが、ご本人もそう仰っているからにはそうなのであろう。トレーナーと言うことは今日の稽古で示演をすることはないということか、、、

稽古開始(実際は着替えていて少し遅れた)。体操、いつもより念入りにやる。やはり先生は端で見ているだけだ。

今回の稽古ではできるだけ相手の動きに「逆らわない」ことを念頭に置いた。合気道を稽古されている方ならば「?」と思うかも知れない。でもこれでいいのである。

このことは私の性格に起因していて、はっきり言えば私は「生意気」なのである。いや、生意気というのは上品すぎるかも知れない、しかしこれより自分の性格の悪さをそのベクトルで表現する単語が今のところ思いつかないので、その「生意気」を数倍悪い方向へ持っていったのが私の性格と考えてもらいたい。

そんな人間が、他の人を相手に型の稽古をするのである。考えると今まで「破門」されなかったのが不思議なくらいである。まあいいや。特に「受け」を取るときにそのいやらしさは存分に発揮され、「取り」の動きを抵抗するという形で現れる。私より上の実力に方たちには全く問題はない。いくら踏ん張ろうとも良い様に技をかけられてしまう。問題は自分より下の方たちとやるときなのである。少しでも型から外れると「受け」をしている私は「カツーン」と身体が反応して技が止まる。おいおい、、、自分だって上の方たちに妥協してもらって「技をかけさせてもらって」きたから、ここまで上達してこれたのだろう? これでは稽古にならんべ。それはわかっている。しかし身体が勝手に反応して、、、いや、認めよう。私はいやなのである。こんなヘタクソの技でわざわざ受身を取るのは。

「こんな態度ではやっぱりいかんぞ」と四年以上続けている中で何度か思っては立ち消え思っては立ち消え。今回のは何度目だろうか?今度は大丈夫だろう、何たって私は初段だ。それにこの春からは別の場所に行く。新天地でいきなり総スカンを食らうのはやっぱりイヤだ。だから、これから一ヶ月で初心者にも対応できて、「取り」が「投げて面白い」「受け」を身につけよう!とか考えながら来る途中、原付を走らせていた。

そして私は「うるさい」。いちいち技に口を出す。できるだけ話さないで済むようにすることも稽古のにおける目的の一つである。


、、、で、どうだった? →まあいいんじゃない? 以前より具体的な改善点が見つかった。この点、自分としては評価できる。そうしなければやるせない。とりあえず、その「具体的な改善点」とやらを書いておこうじゃないか。

とりあえず、今のところ一点。「取り」が「受け」の私を崩す、バランスを崩した私は「ダン!」と足を着く。はい、これがダメ~。ここで技の流れがぶっつりと切れてしまう。私より上級者ならばそのまま自分の流れに乗せて技をかけてしまえるが、私より下級者には少し難しい。そこから先は膠着状態となり、「力比べ」になってしまう。本来なら上級者である「受け」の私が技の流れを作ってやる必要があるのだ。

そして、この「ダン!」はもう一つ私の欠点を示している。私は「膝が固い」のである。もちろん私は正座はできる。そういう「固さ」でなく、私は「膝の使い方が固い」のである。「取り」に技をかけられて崩れる「ダン!」足を突っ張ってしまう。これは「居着き」である。早急に改善せねばなるまい。

稽古が終わり、一人帰り、二人帰り、だいたいいつも学生組は最後まで居残って稽古をする。その日は昇級審査が近いということもあり、社会人の方たちもかなり遅くまで残っていた。

「病院で入院している間、こんなこと考えていたんですよ」先生がニコニコと自分の手を握るように指示する。逆半身片手取りだ。

「動かさないように握っててくださいね」私は手に力を込める(と言ってもたかが知れているが)。先生は私の「表」側に入り身転換(回転)した。四方投げ、入り身投げ、、、 取らせた手のことは忘れて、その場所から動かさないようにするのがポイントだという。「ちゃんと力を入れて動かさないようにしてくれないと」何度かそう言われたがいっこうに抵抗できない。「ん?!」お、何か引っ掛かった、一瞬先生の軽やかな動きが止まる。でもすぐに脱力・接触点を変化させて何事もなかったかのように動き出す。

「やってみて」今度は先生が私の手首をつかむ。動作自体は至極簡単だ。取られた手をそのままに、入り身、転換。これで受けは大きく崩れてしまう。実際たった今私はこれで何度も投げられたのである。まず入り身。いきなり引っ掛かる。取られた手を取られたままにしておくのは意外に難しい。数度目かで、「よし、行けた」転換!また引っ掛かる、、、腕を引っ張ってしまった。その後、数度して何とか動いてもらえた。「え、こんな簡単な感じで良いの?!」と拍子抜けしてしまうほどの単純な感覚。非常に洗練された感覚というのはカッコ付けすぎ。私の中で一番似ている感覚は「横面打ち呼吸法」であった。「うん、でも『軸』がしっかりしてないと、、、」ある程度合気道を理解した上でないとできないというのは納得。

片手両手取りはどうか、両手取りはどうか、といろいろ試した。

「これからもう体力的に『ぐわーっ』っていうのできないから、もし道場に腕っ節の強そうな人が来て、腕を掴まれて『さあ、どうだ』って言う『力比べ』みたいになったらどうしようか。って入院してるときベッドの上でずっと考えていたんだよ。、、、うん、他にやることなかったから」

、、、(゚д゚ ) さすが先生である。私には返す言葉が見つからなかった。

「そうだ、そこのM元さんと二人でやってみてください」M元さんというのは私の大学の合気道部のOGにあたり今年度から就職された方で合気道に実力的には私は頭が上がらない。またその小さな身体のどこにそんなエネルギーが? と思うほど活動的である。
まずは私がさっき先生に教えてもらったということもあってM元さんに手を取ってもらった。、、、全くできない。やっぱり先生はできた気にさせてくれるのがうめぇーよ。決して悪い意味でなく。
今度は先生がM元さんに技をかける。やっぱりかかる。私、かからない。う~ん。

このときに気になったのは「何故技がかからないのか? 先生と私の違いは?」を説明するのに、本来そういったことは技をかけられない私に向かって説明するのが筋だと私は思うのだが、M元さんは何故か一生懸命、先生の向かって話すのである。まるで学校の先生にほめて欲しい小学生のように。そこが少し、不満に思った半面、正直、退いた。こんなことは前にもあったな、別の人だけれど。これが世に言う「信者」というものか。

私の態度は正直人のものを教わる態度でないかも知れないがああはなりたくないものだと思った。また、今文章に起こしてみて、私と先生では倍ほども年が違うというのに、いかに先生が丁寧な言葉遣いをされているか思い知った。